いつの時代も、芸術家という生き物は常人とはかけ離れた人生を送るものだ。『チャイナタウン』や『テス』、そして『戦場のピアニスト』などの有名作で知られる映画監督、ロマン・ポランスキーも間違いなくその一人だ。今回は映画以上に数奇な人生を送っていると言われる、彼の歴史をひも解いていきたいと思う。
1. 戦時中の不遇な生い立ち
1933年、フランスの首都パリにてユダヤ系の家庭に生まれた彼は、子供時代をポーランドのゲットーで過ごす。ナチスによるドイツでの一斉摘発は間一髪で逃れたものの、妊娠中の母親をアウシュビッツ強制収容所で亡くしている。
2. ポーランドで映画を学び、監督デビュー
ウッチ映画大学で学んだ彼は俳優業を経て、1962年、29歳の時に映画『水の中のナイフ』で監督デビューを飾る。現代ではポーランド人のファンも多いこの作品だが、当時は西側諸国で大絶賛されるも、共産党による独裁体制が敷かれていたポーランドでは黙殺された。その後彼はアメリカを拠点に活動するようになったため、同作は唯一祖国に残した作品となった。

3. ハリウッド進出後の悲劇
1968年、オカルト映画の金字塔『ローズマリーの赤ちゃん』を制作した彼は、一躍有名監督になる。同年には過去作品『吸血鬼』に出演していた女優シャロン・テートと結婚した。しかし翌年1969年、カルト集団によって妊娠中だった妻が殺害される。しかも、人違いによる惨殺だった。ちなみにこのカルト集団のトップはチャールズ・マンソンという男で、かのマリリン・マンソンは悪の象徴として彼の名をもらったのだという。

4. 映画史に残る名作『チャイナタウン』、その後の国外逃亡
妻が殺害され、事件の直後は憔悴しきっていたポランスキー。気持ちを奮い立たせ、数年後には名作『チャイナタウン』を監督した。しかしその3年後の1977年に、13歳の子役モデルにアルコールなどを与えて性的暴行を加えたとして起訴される。ポランスキーはこれをえん罪だと主張したが、判決が取り下げられることはなかった。彼はその後の出廷には応じず、保釈中に(釈放後との説もあり)フランスへと逃亡。

5. アカデミー候補『テス』制作、そこでも性犯罪疑惑
1979年には映画『テス』を制作するが、そこで主演を務めた女優、ナスターシャ・キンスキーと3年間にわたり交際していたことが明らかになった。彼女は主演当時18歳で、つまり15歳から性的な関係にあったということだった。また、1983年頃には当時16歳だった女優シャーロット・ルイスに性的暴行を加えたという証言もある。
その後ポランスキーは一度もアメリカへ帰ることはなかった。
6. 世界的傑作『戦場のピアニスト』が話題に
90年代は低迷したように見えた彼だったが、2002年に『戦場のピアニスト』を製作し、大ヒットを記録。
監督自らの戦争体験を芸術に昇華したとも言える作品で、各国からの絶賛を受け、アカデミー賞も受賞した。しかし、その時ですらポランスキーはアメリカへ足を踏み入れなかったという。
7. 再び身柄拘束
2009年、ポランスキーはスイス・チューリッヒの映画祭にて生涯功労賞を受賞した。その式典に出席したところでスイス当局により身柄を拘束される。アメリカは身柄引き渡しを要求したが、スイス当局はこれに応じなかった。その後スイス国内のテレビ番組などで、過去の犯罪に関して言及を行ったこともあるが、未だ各方面との遺恨は消えていない。フランスのアカデミー賞とも言われるセザール賞の審査委員長にも抜擢されたものの、フェミニスト団体の反対に合い辞退している。波乱に満ちた人生の中で芸術的な作品を多数生み出してきた奇才、ロマン・ポランスキー。彼の生涯を知れば、きっと作品の見方が変わるはずだ。
代表作『戦場のピアニスト』は6月11日(日)16:15よりFOXムービーにて放映予定です!(詳細はこちら)